ホームページを作り始めたのはこの程、大きな取材が終わりその原稿が書き上がったからだ。カリフォルニア在住の働く日本人を取り上げ一冊の本にまとめる企画で、「カリフォルニアで働く」というタイトルでアジアの書籍を中心に出版している「めこん」という出版社から発刊される。
詳しくは、別のページであらためて紹介しようと思うが、この取材を通じて私が最も顕著に感じたのは、「働く場所は、何も日本に限定されたものではない」ということだ。海外で働くことが、何ら特別なことでないことをインタビューに答えてくれた21人の日本人が教えてくれる。
4月から取材をはじめ、ルーティンワークに加え週1本のペースで原稿を書いていった。書き上げるまでの数カ月間は、本1冊まるごと書くことが初体験の私にはとてもしんどかったが、それでも何とか楽しみながら書けたのは、純粋にインタビューした人たちが面白い人だったからだ。
著書の「まえがき」にも書いたが、この本をぜひ「この人たちはアメリカで成功したが日本でも成功しただろうか」という視点で読んでほしい。そのあたりに、この本のポイントというか主旨が読み取れると思う。
結論を言えば、日本でダメでも海外で成功する可能性はいくらでもある。その手のマニュアルを読むと「海外は甘くない。日本で実現できない夢を海外で果たそうなんていう考えは通用しない」などと書いてある。しかし、私の考えは逆だ。例えば、本著には性同一性障害を持つ男性が登場するが、彼が活躍する場が日本でどれだけあるというのか。米国では、マイノリティー(少数派)の人権が常に守られている。いや、これは言い過ぎ。守ろうとする動きが日本と比較にならないほど強い。
例が極端過ぎると言わないでほしい。個人が抱える事情は千差万別である。中には、消極的な理由で海外に出て行くことも大いにあっていいと私は思う。
「何だか読みたくなってきた」という人は、来年1月ごろ書店に出回ると思うので楽しみにしておいてください。海外で働くことを考えていない人も、ちょっと読んでみてください。
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2003年11月13日(木) いつできる、このホームページ(2)
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2003年11月14日(金) 「英語がしゃべれる」
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海外とのかかわりを持つと本当に良く聞くのが「英語しゃべれるの?」という言葉だ。私も、留学経験もなく、社会人になっていきなり海外へ飛び出したから、日本に住む知人から「お前、英語しゃべれるの?」と良く聞かれる。
私は自身の体験から、この「英語がしゃべれる」という言葉に全く意味がないことを一貫して唱えてきた。なぜなら、中学程度の英語を解さない人は別として、われわれ日本人はみな、英語がしゃべれるからだ。
それは、海外で外国人と、ありったけの知識をふりしぼって英語で会話してみると分かる。難しいことはさておき、外国人と意志の疎通を図ることはわれわれの受けてきた義務教育で十分にできる。
「英語が話せない」と思っている人の多くは、外国人と話した経験がない。また、海外でも、自分が英語を話せないと思い込んでいることで、外国人との接触を極力持たずに生きている人もたくさんいる。大都市には大きな日系コミュニティーがあるため、日本語だけで生活することもできなくはない。
こんな日本人を作ってしまった原因は、間違いなく日本の英語教育にある。カッコに前置詞を入れさせるなど重箱の隅をつつくような試験問題は、すっかり英語に対して間違えることにビビッてしまう人間を作り出してしまった。
日本人が特殊なことは、世界各国からの移民が集まっている米国にいるとよく分かる。英語を母国語としない人たちと会話すると、彼らの文法がめちゃくちゃであり、にもかかわらずそれがコミュニケーションを取る上での大きな障害にならないことを実感する。彼らは、決して英語に対する度胸が据わっているわけではない。母国でろくな英語教育を受けていないだけで、彼らにとって、日本の英語教育すらありがたいものなのは何とも皮肉な話である。
日本人にとって、まず英語に対する恐怖心、下手な英語を話す羞恥心を取り払うことが英語を話す第一段階である。あとは、ひたすら会話の量を増やしていくことだ。
とは言っても、語彙が限られている上に相手の言っていることが分からなければ会話は長続きしない。英語を「それなりに」話すためには、話す能力とは別に聞く能力が必要になってくる。
英語には、日本語にない「R」や「TH」の発音があるため、慣れるまでネイティブのしゃべる英語はとても聞き取り難い。「ネイティブの」と書いたのは、例えば同じ日本人がしゃべる英語が日本人にとても聞きやすいのは、日本人はよほどネイティブに近いレベルになるまで「R」と「L」を区別なく使っていて、「TH」は「ズ」または「ス」としか発音できないからだ。中国人も同様。
「R」と「TH」については、私もあいかわらず苦しんでいる。端的な例を挙げれば「light」と「right」の区別がはっきりとできない。車で「Turn
right.」(右にまがって)と言ったはずが、「Turn (on the) light.」(ライトをつけて)と聞かれても仕方がない。「third」という単語には「R」と「TH」がミックスされているのでできるだけ使いたくないのだが、どうしても必要な時は「TH」で舌を噛み、「R」でベロ巻いて「たあーーどぅ」とネイティブに教えられた通りに仕方なく発音している。
「Thursday」も嫌いな単語だ。この単語も、「TH」を「サ」としか発音できない宿命からよく「Saturday」と聞き間違えられる。何度も言うのは嫌なので、聞き返されたときは「The
day after Wednesday」(水曜日の次の日!)と「R」も「TH」も使わず逃げる。
そんなことに苦労しながら、少しずつ慣れてくると外国人と話をすることが楽しくなってくるものだ。知らない国の知らない話を聞くことこそ、外国人と話す醍醐味だ。そんな中で、覚えておくと良いフレーズをいくつか紹介しよう。これだけを叩き込んでおくだけで、相手の言っていることを理解することができる。
What do you mean? (どういう意味?)
How do you spell it? (どういうスペルなの?)
Say that again. (もう一回言って。「セイ・ザット・アゲイン」でなく、「セイザラゲン」とかっこ良く言う)
Can you speak more slowly, please? (もうちょっとゆっくりしゃべってちょうだい。)
どうだろう。何となくいける気がしてこないだろうか。
さらに言いたいことが出てくると、今度は中2ぐらいで習った「関係代名詞」を使いこなすことが課題になってくる。この辺のレベルが、一般に「日常会話が難なく話せるレベル」になるのだろうか(別に関係代名詞を使わなくても日常会話ぐらいできるが、スマートに話すという意味で紹介する)。例えば、こんな風に使う。
I’m looking for a friend who can drink some alcohol with me.
(一緒に酒を飲んでくれる友達を探してるんだけど。)
The sushi which is on the table is mine.
(テーブルにある寿司は俺のだよ。)
英語の環境に出て3年の私はこんな程度である。何はともあれ話すこと、聞くこと。そして、大切なのはずっと続けることだ。英語については、これからもいろいろと書き込んでいきたいと思う。
17日から日本に一時帰国しているフィリピン人の妻が、日本の在留資格更新のため入国管理局を訪れた。付き添いなどで同局に行ったことのある人は分かると思うが、日本の役所の外国人への応対はすこぶる悪い。入管は、その最たるものと言われている。が、それは本当なのか。
今回は直接、私が申請に同行できなかったが、手続きを代行してくれた行政書士のM氏が、審査官や他の申請者の様子などを電話で詳細にリポートしてくれた。
窓口では相変わらず、煮え切らない職員の対応に痺れを切らす申請者(の同行者の日本人)が何人も見られたという。同行者らに言わせると、「どうしてこっちの言うことが分からないのだ」「本当に役所的な対応しかできない」「自分の都合しか考えていない」などなど。そして、「役人は外国人を蔑視している」と締めくくられる。全くお約束の言い分である。
日本の役所の対応の悪さを言うには、米国でわれわれが役所に行ったときの対応と比較するのが容易だ。確かに、外国人であるわれわれが役所で腹の立つ対応をされたことはない。それ以前に、どこに行っても接客要員が無愛想なので、役所が取り立ててどうだと言えなくなってくる。
M氏は、同行者に伴われた申請者の書類をそっとのぞき込んだ。すると、日本語で書かなければならない場所がアルファベットで書かれ(代筆、タイプ打ち可能な個所)、不足書類もちらほら。とても、「言い分」を言えるような状態ではなかったという。
「こんなもんですよ、入管でのやり取りは。そして、こんな人たちが、『役人の対応は・・』と言っている張本人なんです」。M氏の嘆きが、太平洋を越え手に取るように伝わってきた。
「やめとけって、ホームページに日記つけるとはまるよ」
とのありがたい忠告を無視して、日々の取材から得た
サブネタ(取材とは関係ないが捨てるには忍びない情報)
を書き綴っていきます。
来週の月曜日、12日に地元サンフランシスコの日本語ラジオ局、サンフランシスコラジオ毎日(AM1450)のインタビューを受けることになった。ラジオ出演は、大阪のラジオ局でフィリピン人妻を持つ日本人としての愛憎話を披露して以来、3年ぶり2回目。ジャーナリストとしての出演は今回が初めてだ。
今度出版になる『カリフォルニアで働く』に関することが主だった内容になるらしいが、どうしよう。聞き手は、当地で有名なジャーナリストの中川淳子さん。気心の知れた人だけに、逆に改まって話をするのは緊張する。
放送日はまだ未定だが、決まったらお知らせします。ご期待ください。
家内の在留資格更新で大変お世話になった行政書士の益田浩司氏から、昨日Eメールをいただいた。行政書士を志す人たちが通う資格学校の講演で、今回の私たち家族の事例を紹介したい旨の依頼だった。入管に触れた先日の取材日記を引用して、入管業務にかかわる行政書士の仕事の紹介や、インターネットを使って海外からの依頼にも対応している現状などを紹介する予定という。
快諾したが、一方で「まずい」とも思った。先日の取材日記だけでは、私は単なる入管に感謝するだけの人のよい申請者の一人に映ってしまう。日本での外国人労働者や入管業務の問題点などを指摘してきた自分として、その前にひとこと言っておかなければ、私の入管に対する見解で誤解を与えしまいかねないからだ。
今回の在留資格更新は、先に記したように益田氏の力量で理想的な結果を得ることができた。それは、申請者であるわれわれと許可する入管側とのそれぞれの立場を十分にわきまえた上で、在留資格の更新という目的を達するために最大限の努力をしたからだ。それが奏効し、先日記した「入管職員も人間」との心境に至ったのだ。
相手の立場をわきまえた対応をすることは、入管業務にかかわらず対人関係の基本である。私が言いたかったのはそれだけで、あまりにも自らの権利を主張するばかりで、他の申請者の行為に水をさすような連中に苦言を呈したかっただけだ。
入管収容所での外国人に対する暴力、差別的対応などの非人間的行為についてわれわれが糾弾しなければならないことはたくさんある。「入管職員も人間」と言わなければならないその裏に、実はわれわれが論じなければならない本論があるのである。
はじめまして、浅田光博です。
先日よりホームページを開設しました。本来なら、中身がある程度完成してから公開するのでしょうが、自分の作ったホームページを自分で見るのが待ち切れなくて公開をはじめてしまいました(笑)。
おそらく現在、関係者以外がこのホームページに辿りつくことはあり得ないと思います。けれども、何かの弾みでこのホームページを開いてしまった幸運な人のために、少しぐらいはくつろいでもらおうとこの「取材日記」だけ見切りでスタートします。今日現在のレイアウトはめちゃくちゃ、内容も飯田君や大森君の頭ぐらい、場合によってはシリコンバレーの桝本さんぐらい薄いかもしれない(分からんて)。
ホームページ作りはしんどいっすよ。かつての僕の同僚が知ったら、こんなものを作っていることに腰を抜かす奴もいるだろうね。そのぐらい、僕にとって労力のいる作業です。プロに頼めばいいじゃないかって? いくらぐらいするんだろう。そんな金があったら、日本食レストランでうまいもん食ってるよ(現在、私は米国在住)。
というわけで、この取材日記では日々の取材活動の報告をします。と言っても、毎日取材をしているわけではないので、それ以外のことでお知らせする価値のあることは何でも書きます(多分、その方が多い)。今後の書き込みにご期待ください。
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2003年11月12日(水) いつできる、このホームページ(1)
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ラジオ毎日での録音が終わった。15分のインタビューコーナーで、かっきり時間通りにインタビューを終えたジャーナリストの中川淳子氏の進行はやはりプロである。つたない私のしゃべりも、彼女のコーディネートにより何とか放送に絶え得るものになっただろう。
つたないしゃべりとは、本当につたなかった。自分で何を言っているのか途中で分からなくなってしまった。文章で自分の考えを伝えるのには慣れているが、しゃべりで、かつ15分という限られた時間で内容をまとめるのは本当に難しかった。これが1、2時間の講演であればこれほど反省することもないだろう。途中で話がそれようがいくらでも軌道修正できる。
今回の経験はジャーナリストとして生きていく上での新たな鍛錬が必要であることを教えてくれた。話がしどろもどろだった理由は、要は私が今回の「カリフォルニアで働く」で伝えたかったことがきちんと確立されていなかったからだと思う。伝えたいことは本のいたるところにに散りばめているが、それを簡潔に表現できなかった。つまり、本を書き終わった今でも、引出しが整理されていないのである。
自分が何を伝えたいのか引出しを常に整理すること、そして取材される側として自分自身を的確に表現するための訓練を今年の課題にしようと思う。近々、現地邦字紙の北米毎日、日米タイムズからも取材を受けることになっているが、きちんとできるだろうか。
念のため、放送は現地時間で28日(水)午後6時過ぎです。
すっかり間があいてしまったが、入管の職員と申請者の態度、対応について書いたからには、わが家のケースがどのような結末を迎えたのかをきちんと記しておくのが筋だろう。
結論として家内の在留資格は、前回の更新からほとんどの期間、つまり3年に及ぶ海外生活があるにもかかわらず前回と同じく「3年」が許可された。また、申請から許可まで、通常は少なくとも1ヵ月を要するといわれる審査で、1週間後に審査が終わるという異例の高速発給となった。
いったん米国に戻り、許可が出た後に再びスタンプをもらいに日本へ入国することを想定していたが、いや、最悪、在留資格が更新できない場合に備えた準備もしていたが、入管の「はからい」で2週間の妻の日本滞在の間にすべて事が終わった。これ以上ないほどの理想的な結果である。
海外に居を構え、明らかに日本に生活の拠点がなく身元保証人にすらなれないと言われた私の妻の在留資格がこうもあっさりと更新できたわけは単純である。審査官に私たち家族の状況をより分かりやすく説明し得る書類を作り提出したこと、それと「どうしても在留許可を更新したい」ことを同じく書面にて訴えたからである。これには、今回の申請を代行してくれた行政書士の力によるところが大きい。
「入管職員も人間」、そして「雇用形態の多様化」が今回のキーワードだった。「役人だから」「役所だから」と言っていては、このような結果にはいたらなかったことは火を見るより明らかである。役人だからこそ、対応に気をつけなければならないのである。
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2004年1月27日(火) 日米タイムズの取材を受けました
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ここのところ、ラジオへ、新聞へとメディアへの露出が少し高くなっている。今日は、サンフランシスコに2誌ある日系邦字新聞「日米タイムズ」から取材を受けた。もちろん、本を出版するからだが、記者の高木さんからの事前連絡では「I'm
here.」という人物紹介記事の取材とのことだった。
特に準備をする必要もないと考えていたが、取材後、やはりある程度の準備が必要だったと反省した。記者の高木さんとは明大時代の同級生だったことが分かり、私が当時熱を上げていた学生運動(の取材)ネタで盛り上がったが、高木さんが新聞記者として私自身をサンフランシスコの在留邦人に紹介する価値のある人間と思ってくれたかどうかすこぶる不安である。
私たちジャーナリストは、取材されるより取材することの方が圧倒的に多いことは言うまでもない。取材対象にいかに気持ちよくしゃべってもらうか、他のインタビュアーが聞き出せない情報をいかにしてしゃべってもらうかについては、営業畑出身でもある私にとってはちょっとした自信を持っているつもりである。
ただ、自分が取材されて感じたのは、私の技量(というほどのものではないが・・・)もさることながら、取材対象者も、有能な人は自分のストーリーを簡潔に、かつ人の心を打つ話し方を確立しているものだと思った。
何が言いたいって? ラジオ出演の時と同じく、相変わらず要を得ない返答に終始したということです。あとは、新聞記者の技量に任せて、どんな記事になるのか楽しみに待っていようと思います。